消費だって仕事と同じように誇りを持つべき。

1円をケチって1万円をケチらない節約下手な人たち
http://www.sugobu.com/money/costcut/post192/


という記事のはてブのコメントで父親の話が少しだけウケたのでその事についてメモしておく。


自分の父親は、例えば車を買うときに値切らないそうだ。それよりも人を見るとの事。


なぜなのか。車は大きな買い物だし、使い続ける物だから、信頼できるサポートが必要。となると信頼できる車の営業マンと、信頼関係を繋げたい。利益を出すのが仕事だろうから、信頼できる人から値切る事はしたくないそうだ。


車を普段問題なく運転できてはいるものの、「なぜ」それが走っているのか機構がわかっているわけではない。そういうものは自分で完結できず、必ず誰かに頼ることになる。それなら、信頼できる営業マンが色んなトラブルに対するハブになってもらいたい。そう考えているそうだ。


保証制度や保険などもあるだろうが、そこを敢えてあやふやな人間関係に頼る。いや、あやふやでなくする事が大事なのだ。良い関係から良い仕事をしてもらい、きっちりと利益を上げてもらう。そういう真っ当な消費関係を持つことは価値があることだと言っていた。


西原理恵子の『この世でいちばん大事な「カネ」の話』にもあったが、

「お金」について考える事は人間関係・仕事関係、つまり自分と世界との関わりにつながっていく

貧乏という問題の解決‐『この世でいちばん大事な「カネ」の話』『世界一やさしい問題解決の授業』
http://d.hatena.ne.jp/kojitya/20100129/1264739779


本書では「働く・稼ぐ」方にウェイトが置かれていたが、「使う」方にも同じことが言えると思う。良い関係を作るために敢えて余分にカネを出す事が価値を産む場合もあるのだ。実際、上記車の件は、父親だけでなく自分も大いに助けられた。1度や2度だけではないし、営業の一環からはるかに超えた仕事をしてもらった。


仮に保険などでカバーされていたとしても、そこに人間関係はない。義務と権利だけの関係だ。それを超えた関係は強い価値を持っている。湯浅誠が、著書『反貧困』の中で、「溜め」と表現したものを、自分の父親はちゃんと見えている・・・というか、当然のものとして身に染みているんだなと感じた。


経済の外側が見えているか‐『反貧困』
http://d.hatena.ne.jp/kojitya/20090916/1253058919


自分は普段カネカネ言って仲間からはネタにされているくらいだが、金持ちになりたいというよりは貧乏になりたくないのだ。カネがなければ生きてはいけない現状では、カネがなければないほど相対的に1円の価値は上がっていく。そういう条件から、自分の生活のために人間関係を切っていってしまう事になっては寂しすぎる。「見栄や体裁のためにカネを使いたくない」という意見をたまに見ることがあるが、そういうものにこそしっかりカネを使いたい。モチロン過剰で自己中心的な見栄・体裁ではなく、ね。


一番上の記事のような「節約」を批判したいわけではなく、「カネを使う」という事にもう少しバリエーションを感じてもらいたかっただけなので、節約好きの方でご気分を悪くされた方がいたらスミマセンが、そういうことなのです。


消費も大事な経済活動。仕事を大事にするように、消費も大事にしたいものです。

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ)

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反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

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