社会を変えるのはオッサンたちだ。

「2010年6月4日付東京新聞:ロックの「農」力」という記事を読んだ。(スミマセン。web上に記事が無いです;;)下北沢に「農民カフェ」を開いている和気優さんという方の記事だ。しかしこの新聞記事からはどういう社会にしたいのかイマイチ伝わらなかった。しかし、記事の問題ではないように思う。
その記事では、和気氏の問題意識はこの三点。↓

1>高い家賃、安い賃金…。いまの若者を取り巻く状況は、あまりに悲惨。食と住を補償することで、やりたいことに打ち込んでもらいたい

2>四割台の日本の食料自給率は「国家の危機」と思ってる。(「国家の危機」だけかっこ振ってあったので、記者による多少の「編集」があるかも??→と思ったら、著者がブログで記事について文句言ってなかったので問題なしか。)

3>作物は作品。音楽と同じ、農業は表現行為なんだ。ストリートから“農民”を増やしていきたい

なんもやってない私にあーだこーだ言われる筋合いはないかもしれないけれども、


例えば1について。
とりあえず「農民カフェ」のクチコミを一通り漁ってみたけど、「高い」という意見が多い。実際ランチが1000円〜1200円。しかし、食料自給率を引き下げている肉類が主の牛丼屋に行けば一食300円前後。(食料自給率についてはツッコまない。「四割台の日本の食料自給率」というのはカロリーベースでの計算。色々と問題はあるにせよ今回のテーマとはズレるので。)どうにも若者の食料補償と店の価格設定が相容れないように見える。


2について。
コレについては食料自給率を問題とするかどうかの時点で議論があるのはもとより、問題とするとして解決を考えるなら、インフラ事業や政治レベルの問題。遠ざかっているわけじゃないけど、カフェやるよりたぶん出馬した方がいい。


3について
とりあえず「農民カフェ」のクチコミをざっと漁ってみたけど、オーナーと直接関係のある方以外に「農業やってみたい」とか「日本の農業について知りたくなった」とかそういったお客様視点以上の視点でのクチコミは見つからなかった。ウェブ上のクチコミだけが効果というわけじゃないが、ちとこれでは寂しい。



つまり、「社会を変えたい」という気持ちとその実現方法にものすごい隔たりを感じてしまうのだ。そもそも、社会を変えたい時に「若者の意識改革を」ってよくいうけど、それってホントに意味あるのか?


社会を変えるってよく聞くけど、みんなの理想の社会って同じなのか?


みんな具体的にどんな社会を理想と思っているのだろう?例えば過去に生まれ直せるとしたら、何時代に生きたいのだろうか??


インフラレベルの変革をもって「社会を変える」の定義とすると、若者の意識改革するより、オッサンの意識改革をするべきだ。


なぜなら、本当に社会を変えられる能力を持っているのはオッサンたちだからだ。以下の記事を読んでもらいたい。
年齢階層別の金融資産保有割合をグラフ化してみる:
http://www.gamenews.ne.jp/archives/2009/01/post_4462.html


ちょっと原典まで当たることはしなかったのですが、コレは個人の資産ですね。消費者としての力だけでこの差です。世代の人口差+投票率差で政治的にも若者は貧弱。社会的にも社会インフラを担えるような大きな組織で意思決定に関われる人たちはみんなオッサンたちでしょう。


そんである若者の個人が社会を変えようと意識したとして、どのくらいできるんだろう?起業?オッサンたちが投資する金で?たぶん下北沢に住んでいるような若者たちには、その社会に参加するかしないかの選択権くらいしかない。本当に若者が世代として社会を変えるなら、同一の社会ビジョンを持って日本という国をどうにかしなきゃいけない。んで、そのどうにかが問題。暴力で革命を起こす?日本円を利用するのをやめて徐々に日本という枠組みから離脱していく?


別にペシミストになりたいわけじゃないけど、「社会を変えるために若者の意識を高めよう」なんて言葉がありふれていていい加減ウンザリしてきているんだ。社会を変えたいなら、若者の相手してないで今一番力があるオッサンたちの意識改革をするべきだ。