「希望」とは何か−『災害ユートピア』

素晴らしい書評は以下↓
「災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか」レベッカ・ソルニット著 :
http://kousyoublog.jp/?eid=2573
【書評】『災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』:
http://blogs.itmedia.co.jp/akihito/2011/03/post-e4a9.html


先日、村上龍が書いたニューヨーク・タイムズへの寄稿文「危機的状況の中の希望」という文が話題になっていた。以下リンクはその日本語訳↓
危機的状況の中の希望
http://www.timeout.jp/ja/tokyo/feature/2581/


字数制限のせいか、この文の中で「希望」というものについては詳しく書かれていない。
村上龍の言う「希望」とは何か。私には、本書がその答えに読めた。


災害に見舞われた現場では、一時的に無償の善意が生み出す相互扶助の“ユートピア”が生まれることが多いという。村上龍が言う「希望」とは、この瞬間的ユートピアと、その裾野にいる日本全体の人々。ひいては協力的に接してくれている世界中の人々感覚についてのことだろうと思う。


本書は、人間は本来利己的だと考える人にはもう少し深く考える材料を与えてくれるだろう。(例えば、経済競争の敗者は社会システムの不公平のせいではなく、本人の適応性のなさと怠惰のためと考える社会ダーウィニズムのような考え方がベースになっている人など)『塩狩峠』は人としての理想を描いた訳ではなく、誰もがもつ人間の本質を描いているのだと感じられるようになるかもしれない。


しかし、津波の直撃を受けていない私が本を読んで感じた希望などは、もしかして余裕が創りだした幻想なのかもしれないとも思う。実際下記記事のような人には私からはぐぅの音も出ない。出せない。自分の日常とは遥かに違う厳しい現実と戦っている人たちにまで伝わる希望なのだろうか。

「頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。」
http://anond.hatelabo.jp/20110407001402

「被災地へ医療スタッフとして行ってきました。 」
http://blog.goo.ne.jp/flower-wing


特に上記「頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。」の言葉は、希望なんてものからはるか遠い現実を表しているし、その思考の流れは共感できる論理と感情を持っている。しかし本書にはこんな記述がある。

「みんな、びっくりしているの。こんなふうに世界中の人々が援助の手を差し伸べてくれるなんて、夢にも思っていなかった。だからって、それが、もともと当局がすべきだった対応の代わりをしてくれたとは言わない。でも、全国から、そして世界中から援助を受けていることで、わたしたちは余計に頑張れるの。わたしたち、いつもこう話してるのよ。あの人たちが二週間も仕事を抜けたり、学校を休んだりして、手伝いに来てくれている、わたしたちが後ろ向きの気持ちになるなんてことは、絶対に、絶対にあってはならないって」

自分にはこちらもまた共感できる。


いったい絶望する人と希望を持つ人、何が違うのだろうか?
災害の際に希望を持てる条件とはなんだろうか?
災害が落ち着いた後の日常にこの希望を発現させ維持できる方法はないだろうか?
テレビに出てくるスポーツ選手や芸能人が、日本全体がチームとなって「日本自身」を救おうと言っているが、そのチームの中にはいったい誰が入っているのだろう?ホームレスは?在日の外国人は?障害者は?


今回の地震は一時的な災害だけでなく、今度の日本は、自然災害リスクや原子力発電に伴う事故リスクを今まで以上に高く見積もらなければならないだろうし、今回の地震で失った産業や、旅行先や投資先としてのジャパンブランドなどをどう取り戻していくのか、もしくは違う国づくりを目指すのか。中長期的な問題は山積している。


本書を読んでもこれらの答えが直接書かれている訳ではない。しかし大災害を直接経験しているとは言えない私には、本書の数々の事例はこういったことを深く考えさせてくれる良い経験になった。


上で紹介した素晴らしい書評の中に、

ただし、いくつか気になった点もある。一つは災害ユートピアを文字通りユートピアとして神聖視している点だ。これは著者もまた1989年のカリフォルニアでおきたロマ・プリータ地震の被災者としての体験があるのではないかと思う。彼女は被災地で同様の体験をし、それが災害ユートピアについて調べるきっかけになったという趣旨のことを書いているが、若干強すぎる神聖視は、もしかして自身の体験に意味を持たせようとする補償行為のようなものなのではないか、と思った。


もう一つは、ユートピア社会主義アナーキズムへの共感とともに「国家」に対する強い不信と、共同体に対する無条件の称揚が見られるのも気になることろだ。政治的にリベラルなポピュリズムとでもいうような雰囲気なので、そういう著者の政治思想を踏まえて読むと良いように思う。


とはいえ、それらはこの本の価値を損ねるものではない。むしろ災害時の様々な現象から、市民社会についてまでを広く射程に収めた良書で、未曾有の大災害に見舞われた今こそ読むに値するし、さらに深く考察すべき内容だろう。

と書かれていて、確かに私も著者の社会観から来る強いバイアスを感じる部分はあった。しかしそれでも上記ブログの中の人と同じく本書からは希望を感じざるを得ない。


最後に、私が本書の中で一番希望を感じた部分を引用して終わりたい。

パキスタンの若い移民ウスマン・ファーマンは、煙の雲から逃げる途中に転倒した。ハシド[ブルックリンに集中して住む伝統的なユダヤ教徒]の男が走り寄ってきて、ファーマンがぶら下げていたアラビア語の祈りの言葉が刻まれたペンダントを手に取った。それから「ブルックリン訛りの低い声で『兄弟、もしいやでなかったら、おれの手をつかめよ。ガラスの雲が追いかけてきている。さっさとずらかろうぜ』って言った。よりによってハシドに助けてもらえるなんて夢にも思っていなかったよ。もし彼がいなかったら、きっとガラスの破片や瓦礫の雲に飲み込まれていただろうな」


思想すら超える本質的な善意が人間の中にはきっとある。私はそういう希望を本書からもらった気がした。


塩狩峠 (新潮文庫)

塩狩峠 (新潮文庫)


ちなみに、ちょっとズラして、リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』とジェームズ・ラブロック『地球生命圏』なんかと合わせて読むと面白いかも。また違った視点で本書を読むことができると思います。

利己的な遺伝子 <増補新装版>

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地球生命圏―ガイアの科学

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