懐かしき到達地点―『コスモス楽園記』『アタゴオルは猫の森』

書評がうまく見つからないのでwikipediaでご紹介↓
wikipedia:コスモス楽園記
wikipedia:アタゴオル


どんな世界かは以下↓

彼の作品は、人間大の直立二足歩行をする猫が重要な役割をはたす物がほとんどである。猫と人間は区別されることは無く、猫と人間が酒盛りをしたり、猫がトランプをしたりする。これは、『のらくろ』などの古典的漫画表現の形式の踏襲とも言えるが、彼の場合はひたすら猫のみが扱われる。猫は彼にとって自由と神秘性の象徴をなしている。

彼の作品群のなかで、その全盛期のものであり、中核をなすものは「ヨネザアド」大陸の「アタゴオル」と呼ばれる架空の世界を主舞台とした物語である。主人公はヒデヨシという名の大デブ猫とテンプラという青年である。このテンプラは著者自身の分身でもある。

その世界ではシュールレアリスティックな設定がなされている。草木は異常に巨大化しており、スケール感は現実性を喪失している。独創的な生物もおり、植物と鉱物の中間生物などというものまで登場する。家や道具はかならず曲面で出来ており、文字も独自なものであり、本は葉っぱである。
このような非現実的な設定をしながらも、読者が違和感を覚えることなく、逆に一種の郷愁を感じつつその世界に入り込めるということには、2つの要因が考えられる。
一つは、彼の絵がイラスト的に洗練されたものであり、また、過度の技法に走らず、かつ稚拙でもない絶妙のバランスの上に立っているという画風的要因である。
もう一つは、その仮想世界が概ね幸福な世界として描かれており、花火・かき氷・魚釣り・酒盛り・お祭り・雨宿り・涼み…といった、日本人の民族的郷愁感の有る生活が、さりげなく挿入され、日本人の生活延長上に物語が組み立てられているという物語的要因が考えられる。仮想世界と民族的な日本人の日常性の同居が彼の作品の魅力を特徴付けていると言える。
また、ヒデヨシは我儘・自由奔放(特に食欲に関して)・無法・無教養・幼児性…等の象徴をなし、テンプラは理性・常識・芸術性・教養・分別…等の象徴をなしている。2人は別個の人格というよりも作者自身の心象の二側面を漫画的に表現したとも言える。

wikipediaますむらひろし→作品の特徴より


今現在一番読み返している回数の多いマンガだと思う。でもたぶん何度読んだところで何の役にも立たない。


なぜなら、この世界がたぶん私の到達地点だからだ。
理想の世界は何かと聞かれた時に真っ先にイメージするのがこの世界だからだ。


シュールな世界なのになぜか懐かしさを感じるこの暖かい空気感はただただ読んで感じてみて欲しい。ってなんだか手垢のついたような的を得ない表現ですが、適切な表現が思いつかないのです。紹介はしたいのですが、あまり分析的なことを書けない、考えたくないマンガです。そう考えると、もしかして幸せってのは、「大量の言葉などの表現方法を身につけた上でさらに語れない物事」を増やしていく事なのかもしれないなぁ。


コスモス楽園記は絶版の模様。非常に残念。↓

アタゴオルは猫の森 1 (MFコミックス)

アタゴオルは猫の森 1 (MFコミックス)