リアリティという神

理屈に負けない強さ−『3.3.7ビョーシ』『トッキュー!!』
http://d.hatena.ne.jp/kojitya/20100527/1274910454
でちょっと思うところがあったので追加メモ。


『3.3.7ビョーシ』の書評で、中の人が

絵がかわいい(そして時折エロイ)のはもちろんなのだが、女の子のセリフ、服装、アクセサリーのセンスが女の人のセンスで描かれているので、現実にいる女性との共通点を沢山見つけられる。楽な書き方をすると、リアリティーがあるという奴である。

と書いているが、ああなるほど。全然気がつかなかったが、リアリティってそういう所からも創られているんだと今更ながら気がついた。確かに、以前『小太郎の左腕』の書評を書いている方が、感情移入できなかった理由に「伏線なしで唐突に心情が変化する」と書いていたが、
いき−『小太郎の左腕』『「いき」の構造』:
http://d.hatena.ne.jp/kojitya/20100511/1273526554
マンガでいうと、このことだったのか。神は細部に宿るってヤツだ。自分も『3.3.7ビョーシ』読んでて服装の細かさが気になっていたが、ファッション好きなんだろうぐらいにしか考えてなかったな。


この人のマンガは概して偶然が多くて気になってたんだけれども、なぜかシラけさせないのは細やかに書き込まれた細部があるからなんだろう。


よくよく考えるとリアルの人生も偶然ばかり。細部は常に存在する(だって現実だから)。
つまり神は現実ということそのものなのかもしれないなぁ。