選ぶだけが自由じゃない。

趣味のブログでメシが食えればすばらしい:
http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-1481.html


という記事を読んで。

経済というのは趣味からつくられてくるものだと思うが、日本の勤勉や禁欲の労働観というものはこの原初を壊してしまうからこんにち日本は停滞や没落してしまったのだと思う。ウィンドウズやipodをつくったビル・ゲイツやスティーヴン・ジョブズなんてそれが最高におもしろかったから成功したのだと思うが、日本は労働をつまならないもの、我慢すべきものだと向き合うから失敗するのである。キャッチアップの工業社会は経済のおもしろみ、楽しみをその根底から破壊したのだと思う。そして成長も繁栄も生まれない。アニメが国策にされるほど繁栄したのは楽しかったからであり、儲けとかカネがほしかったわけではないのだ。経済というのはおもしろみや楽しみに向かい、そこから生まれる。死んだ、つまらない労働観に向かう日本はだから没落するのである。


「楽しい事を仕事に」できれば素晴らしいことであることは否定しないが、この「楽しい事を仕事に」は実はちょっと厄介なんじゃないだろうか。この言葉、圧力的な響きを持ってるように感じる。
「楽しい事を仕事に」できなかった人の劣等感を助長するし、「仕事を楽しいものに構築しなおす」意識を埋もれさせてしまうように思う。できることはチョイスだけではない。


上記記事を書いた人はその事を否定しているわけじゃないんだろうけど、少し慎重に使う必要のある言葉かなと思ったので。。。