SAG◯WA急便の異常な配達 または私は如何にして心配するのを止めて不確実性を愛するようになったか

ある平日の夕方、仕事で疲れていた私は盆栽に水をあげていた。
去年の冬、厳しい寒さの中で匂い立つ真っ赤な花を咲かせてくれたこの梅の木は、ゆっくりと育てることの喜びを教えてくれた。
私は多少の擬人的な愛情を感じていたため、疲れていても水やり程度なんの苦でもなかった。
というより、ちいさなコミュニケーションであって、「あいさつしましょう。特に仕事では当然です!」ということと同じレベルのことで、意識することもなくゾウさんのジョウロで人工の雨を降らせていた。


そのときふと私は別の植物も育てようと思い立ち、インターネットでその植物の苗を注文した。
「また少し、このベランダが賑やかになるな。」小さな期待を胸に、ガイダンスに従ってマウスをクリックしていく。
「時間指定…次の土曜午前中…っと。予定はあるが正午まではなんとか待てるな。」
この時はまだ、私は自分が確実性の虜になっていたことに気付きもしなかった。


翌土曜の午前11時50分。私は植物が届かないことに焦りを感じていた。
外出の時間が迫っていたが、午前中と指定した以上待たなければ失礼だと思い、外行きの服装で玄関の椅子に腰掛けていた。
いつも荷物を運んでくれるSAG◯WA急便のAさんは遅刻をしたことがない。「おかしいぞ。途中で事故ったかな?心配だ…」
手持ち無沙汰で雑誌の記事を目で追うものの、Aさんの安否と届かない荷物が気になって集中できない。
12時が過ぎるも電話ひとつない。間に合わない。もう出なければ。


その日家に帰るとSAG◯WA急便の不在票が入っていた。
運び手の名前はAさんではなくBさん。初めての人だ。とりあえず良かった。Aさんが事故という訳ではなさそうだ。
記載されたお届け時間を確認。15時30分。1530円?1530mmの荷物?いやいや、やはり15時30分に届けにきたとの記載。
…どんだけ遅刻だ。学生なら給食の時間に登校してるようなものだ。


その日からは怒涛のスケジュールでどうしても荷物を受け取るタイミングがない。仕方なく次の木曜日に指定。
そして木曜、苗は枯れていた。同封されていた「苗を受け取ったら水をたっぷりあげてください。」とかかれた添え状が虚しい。
「遅くなってしゃーせっしたぁ」と、あいさつもせず目線のあわない謝罪を口にしながら苗を持ってきた背の高いBさんを思い出し、人によってこうも違うのか…と頭の中でAさんと比べていた。
Aさんは背の低いおじさんで、いつもニコニコしていて気持ちがいい。私は荷物がかなり多いのだが、一度も遅刻したことがない。
たまに会社帰りに近くの公園で休憩しているのを見かけるが、私の顔を見ると、「今日は(荷物)ありませんよ〜」と声をかけてくれる。荷物のある日はその場で渡してくれるし、荷物が重い時は、「今日のは重いのでこのあとすぐ持って行きますよ。」と非常に気がきく。


翌日SAG◯WA急便の担当窓口に事の次第を説明し、新しい苗をSAG◯WA急便の負担で用意してもらうことになった。
その際、枯れた苗を引き取りたいと言う。本当に枯れているのか確認したいのか?
強烈な遅刻をしておいて、さらに客を疑うような行動に疑問もあったが、これを否定するとモンスタークレーマーのようでどうにも居心地が悪い。
私は引き取りを快諾して苗の到着日をまた翌土曜の午前中に指定した。もう遅刻はないだろう。


2度目の苗が届く予定日の、前日金曜日の夜、Aさんが来た。
「荷物があったのでついでにコレも持ってきました。植物らしいから早いほうがいいと思って。」
別の荷物と一緒に苗も持ってきてくれた。やはり気がきく。ただ、引き取りはBさんが責任を持ってやるという。了解し、受け取りのサインをする。
前日に来てくれたおかげで新しい苗の移し替えや枯れた苗の箱詰めも、人を待たせる気兼ねもなくゆっくりできた。Aさんに感謝。


そして翌日土曜日、Bさんはこなかった。またもや午後に出かける予定があったので、家の扉の外に枯れた苗を入れた箱を置き、持っていくよう書いた紙を添えておいた。
このタイミングで来ないとはどういうことだ。「しゃーせっしたぁ」って「すいませんでした」のヤンキー活用変形ではなかったのか。


その日17時、外出先で電話がかかってきた。Bさんだった。「荷物をとりにきてあげたんですけどぉ」
…あげ?しかもこの時間?前よりさらに遅刻してるじゃん。って「あげ」って?ってかまずあいさつは?ってか「あげ」ってどんな意味?
「あいさつしましょう。特に仕事では当然です!」と言ってやりたいものの、「あげ」に混乱していた私は玄関先に置いてある旨を伝えてさっさと電話を切ってしまった。
正直怖かった。なんせこのタイミングで「あげ」である。普通ではない。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ。


そうだ。指定した時間に確実に届くなんてのは贅沢なことなのかもしれない。日本が一番時間に厳しいという。海外では基本的にルーズであるとよく聞く。
そして私は、確実性よりも不確実性を愛することでBさんの恐怖から逃げ、Aさんにいつも以上に感謝して過ごすことを決めた。


今回の件で、「不確実性を愛する心」と「あげ」という大きな気付きを得た私は少し成長できたと思う。


…腹立つけど。