努力の矛先―『「残業ゼロ」の仕事力』『「残業ゼロ」の人生力』

「残業が前提になると仕事の密度が薄くなるだけで意味ない。」
っていうのと
「2000時間働いて売り上げ増はあたりまえ。」
っていうのは若干矛盾したように感じる。

「理念なんかどうでもいい、組織は右向け右で動くもの。」
っていうのと
「会議の結論はプロセスも共有するもの。その決定に自分も参加しているという自覚を与える。」
というのも若干矛盾しているように感じる。
(「」内は引用ではありません><私が受け取ったニュアンスです。)



まあ、本書の焦点よりも具体的な話になっちゃうと、たくさん働いても意味ない仕事もあるだろうし、労働時間自体が価値の大部分を占める仕事もあるだろうしって結論になっちゃいそうですが。

とは言え、もう少し抽象的な部分では非常に感銘を受けました。
内容理解が進む素晴らしい書評4つ。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50994060.html
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51081137.html
http://d.hatena.ne.jp/stky16/20080102
http://blogcq.livedoor.biz/archives/50635484.html



私は海外に長期に渡って住んだ事がないので、「日本は」という前置きは相応しくないけれども、
一般に言われている欧米の感覚と比べて「努力」のニュアンスが大きく違うような気がする。
日本でいう「努力」という言葉には「苦しさ」を含んでいるように感じる。受身というかM気質的というか守りの姿勢というか・・・。
「がんばれ」とか「努力しろ」とか言われた際に、こういうニュアンスで受け取っている人が大部分なんだろうと思う。
つまり、残業は会社のために「これだけ身を捧げました」っていう誠実さを示す儀式となってしまっているんじゃないだろうか。日本は、これだけ私はあなたのために身を犠牲にしてるのよ!っていう意識が強い。
例えば、コレ。↓
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/otaku-ebi.html
ケータイについての件がそうだ。



で、本書は、もっと攻めの努力をしろ!という事を言っているのだ。
最終目標地点は会社の評価ではなくて、「自分の人生が充実したかどうか」なんだから、
そんなことしてないで、時間もお金も良い未来のために投資しなさい!って事だ。
またメメント・モリの話(http://d.hatena.ne.jp/kojitya/20080928)になりそうだw



では努力の矛先をどこに向ければいいのか。それを決めるのは並の事ではない。

本書は、その意思決定を助けてくれるフレームワークを幾つか教えてくれる良書だと思う。



「残業ゼロ」の仕事力

「残業ゼロ」の仕事力

「残業ゼロ」の人生力

「残業ゼロ」の人生力