「知っている」と「知らない」の間−『モリノアサガオ』

死刑制度について、いままでいくつかの本や雑誌の記事等を読んだが、(amazon:ヒットラーでも死刑にしないの?etc)で、冤罪等、論点程度は知っていたが、具体的にどういう形で行われているのかイメージを持っていなかった。一般人が簡単に死刑の現実を見られるわけではないのだろうから、身に沁みたイメージを持って議論することなど無理なのかも知れないが、それでもこのマンガが一定のイメージを与えてくれた。


このマンガの内容からは脱線する内容にはなるが、『知っている』の程度は、どのレベルで何かしらの決定をする議論に参加できる程度になるのだろうか?公式的な場や、一定の他人が参加する場だけでなく、友人同士の会話でも、しばしば現場を知らない事を理由に議論から遠ざけられる事があって、この点が気になってしょうがないのだ。たとえばこの「死刑」を例にとれば、「死刑」の存在や制度設計について参加できる範囲を簡単に分けると、

(1)、刑務官、極刑に値する犯罪の被害者やその遺族、犯罪者本人
(2)、(1)+裁判官、警察・検察、弁護士、法学者
(3)、(2)+一般

(1)=実感を持っている人
(2)=よく知っている人
(3)=ふつうの人

ってところか?制度設計ってたぶん政治家が専門家を集めて議論させて、そこからあがってきたものを調整して決定するんだろうから、以外と(2)−(1)な感じか。。。

法務大臣とか法務省の中の人や、(2)−(1)の中の人達って、死刑執行の現場を見る研修とかするんだろうか?
あ、でも制度設計の話だけじゃないんだけれども。。。
なんだかまとまらないや><;


ところで、脱線してしまったので良い紹介文をひとつ。
http://blogs.yomiuri.co.jp/book/2008/01/post_77fd.html

モリのアサガオ―新人刑務官と或る死刑囚の物語 (1) (ACTION COMICS)

モリのアサガオ―新人刑務官と或る死刑囚の物語 (1) (ACTION COMICS)