「分かる」より「わかる」へ―『蟲師』

素晴らしい書評は以下(ページ下部)↓
http://www.f7.dion.ne.jp/~moorend/dokusyo_04_8.html


分かる・解る・判る


「わかる」という言葉は紛らわしい。細かい違いがあれど、以下の記事によれば、3つの漢字はすべて

すなわち「わかる」ということは「わける」こと。わけるからこそ違いがわかるということなのです。

その二十八 わかるかな:
http://www.s-liv.com/column/iroha/28.html

ということらしい。


以前紹介した『ひらがな思考術』では「五感を通して血肉になった情報をもとに思考しましょう」というニュアンスがあった。漢字は明確な分析を要求するのでしょう。


五感で引き出す‐『ひらがな思考術』:
http://d.hatena.ne.jp/kojitya/20091005/1254718176


このマンガには「蟲」と呼ばれる妖怪のようなものが中心になっているのだが、この「蟲」という存在がポイント。この「蟲」の存在感は妖怪のように意識的に働きかけてくるものではなく、自然現象に近い。そして、主人公はこの「蟲」を直接的に退治していくわけではなく、多くは人間社会と蟲社会の調整をするに留める。「蟲」は敵ではなく、ただの存在なのだ。そして、人間も同じく、ただの存在として描かれている。


<分割して理解する「漢字」としての「分かる」>
だけでなく、
<統合していく中で、身体性として「感じ」る「わかる」>
という世界の知覚方法もあるのだよ、
と著者は伝えたいのではないのだろうか。
この身体性の部分については五十嵐大介の『魔女』が素晴らしいので読んで欲しい。


「考え続ける」以外の答えを求めて−『魔女』:
http://d.hatena.ne.jp/kojitya/20100406/1270504610


「分かる」より「わかる」へ。
日々何かを知ろうとする際、分割しようとしてませんか?分割で「分からない」ことは、
からだぜんたいをとうごうしてかんじるなら「わかる」かもしれません。



全10巻完結。

蟲師 (1)  アフタヌーンKC (255)

蟲師 (1) アフタヌーンKC (255)