写真とはなんなのか−『MAGNUM MAGNUM』
本書紹介ページ(写真いくらか見られます):
http://www.seigensha.com/books/MAGNUM/info/
表現するにあたって、写真は他のメディアよりどう優れているのか。
文章より真実性がある?→最近のフォトショップ技術は凄すぎて写真と見分けがつかない改造ができる。
文章より情報量が多い?−情報量ならムービーの方が多い
ムービーのように装備が必要ではなく身軽で一人でどこでも入れること?→文章なら紙とペンだけだ。
正直よくわからない。
写真は瞬間を切り取るなんていう表現をよくされるが、ムービーなら一時停止ボタンではい出来上がり。最近のデジカメにはムービー機能が当たり前についているが、そのことによって瞬間は連続の一部であって、連続があればいくらでも作り出せることがわかる。
おまけに写真をはいどうぞと渡されても何を伝えたいのかわからないことが多い。正直この写真集の中にもわからないものが多かった。「なぜこの瞬間を切り取ったのか」その疑問に写真だけでは答えられない場合が多いと思う。
でもなぜか自分の中で写真はどうにも特別なのだ。上記の疑問に答えられないために、将来写真家になりたい!という選択肢は一切なかった。しかし、写真展やなんかには月イチペースで行くし、自分もやたらと日々シャッターを切る。
写真の歴史や写真家に詳しいわけではないが、ラグーライやジョナスベンディクセンの撮る写真に言い知れない興奮を覚える。
なぜなんだろう。
むしろその中途半端さがいいのだろうか。写真というスカスカの情報を、見てる人が頭の中で埋める余地があることがいいのかもしれない。写真という一点を通して、むしろ自分の中にある情報が引き出される。素晴らしい引き出し方をする写真のことをいい写真というのかもしれない。そう考えると必然性がある。文章は論理的すぎる。ムービーは情報量が多すぎる。見てる人が客体ではなく参加できる。そんなメディアが写真なのかもしれない。
そういえば写真家の方の書いた記事でこんな記事もあった。↓
■三者双方向の関係を大切に考えていきたい
(前略)コソボで撮影した「眠る母子」の写真ですが、以前20代前半の男性から「私も昔こうやって母と寝ていました」と言われ、ハッとしました。彼にしかわからない歴史的背景がありますが、言葉には母親との思い出が詰まっており、感情のキャッチボールが出来たようでうれしく思いました。ニュートラルな視線で伝えることにより、観る人にとって自由で開放的な写真でありたい、と気がつかされた次第です。写真を観る人が撮影者の感性以上のものを感じて、私にその感想を返してくれること。撮影者と被写体との関係に写真を観る人を加え、三者双方向の関係を大切に考えていきたい。
フジフィルムフォトエッセイ第二回 今岡昌子さんより↓
http://www.fujifilm.co.jp/photomore/life/b_es002.html
ちょっとまだカリッと腑に落ちないんだけれども、写真ってほんと素晴らしいです。
本書にはラグーライの写真は載っていませんが、ジョナスベンディクセンを含め、ロバート・キャパやアンリ・カルティエ=ブレッソンといった超有名写真家の写真が載っています。
本書のうち、ジョナスベンディクセンの写真を紹介している記事がありました。↓
(ページ中程、カラーの写真)
http://mezase8a.exblog.jp/7163594/
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MAGNUM MAGNUM マグナム・マグナム (日本語版)
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