『ワンピース』は自己啓発散文詩なんじゃないかな?

『ワンピース』と『夢をかなえるゾウ』

2010-06-28 なぜ『ONE PIECE』はつまらないのか?:
http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20100628/1277732436


『ワンピース』は自己啓発マンガなんだと思う。上記ブログ紙屋氏の問題意識は非常に共感できる。実際僕も途中から読めなくなった。ドラゴンボールの時のような「強さのインフレ」構造になって行くんだろうなーという感じがどうも受付なかったし。

紙屋氏は、

 しかし、この命題が成立するためには、実はいくつもの前提や条件が必要なはずであった。あたり前の話だが、スポーツにおいては一定の技量がどうしても前提になる。そういう技量をつね日ごろ持っていたものだけが「あきらめたらそこで試合終了」かどうかという選択肢を持つことができるのである。

 いまは選挙の時期だからw、選挙の例でいうと、「議席を獲得できる票を得られるかどうか」は選挙に動員できる資源を何らかの形で持っている陣営にのみ問われることだ。動員できるカネもヒトもないような陣営には初めから「あきらめたらそこで選挙終了ですよ」という問いは存在しない。

 試合や選挙が始まる前、もっと長いスパンをとって、実力を養い、経験を蓄えていくということをやったらどうか。もちろん、それならアリだ。だが、その努力がある種の科学性に裏づけられていなければ、努力の大半はムダになる。たしかに「あきらめずに」意思が持続する者は、膨大な試行錯誤の中からついに実力を高める方策を選びとることができるかもしれない。

と言っているが、この件は、『うらおもて人生録』で色川武大が言っていたことと重なる。


「実力は負けないためのもの」

ばくちの例になるけどね。ばくちの総量を、百としよう。このうち四十くらいは、一般に、セオリーとなって、どうすればコンスタントに勝てるか、という道が明らかにされている。
けれども、四十対四十じゃ、互角でおたがいにセオリーが極め手になっていない。セオリーというのは、前述の話の実力に当たるね。
だから、あきらかになっている部分を一つでも二つでも、拡げていくことだ。(中略)この一点の差が、長い間に極め手になるんだ。あとは(中略)いかにコンスタントに使うか、だね。プロなら誰しも、そこをきたえる。

絶対に読んで欲しい−『うらおもて人生録』:
http://d.hatena.ne.jp/kojitya/20100325/1269470830


しかしこんだけ売れていて面白い部分がないわけがない。ではどこが面白いのか考えてみた。書評を漁ってみると、ページの抜き出しや名言が多い。つまり、皆は「ワンピース」を「名言集」的に読んでいるのではないだろうか。共感できる一言に心を震わせてみたり、言葉だけじゃなく、主人公が自分の思う理想の行動をとることに安心感を感じたりするのではないだろうか。


そう考えると、ちょっと前にヒットした『夢をかなえるゾウ』と似たものを感じる。これも物語の中に自己啓発ネタを散りばめた作品。どちらも、つながりのあるひとまとまりの物語としての完成度よりも、散文的な意識で創られている物語なんだと思った。

ONE PIECE  1 (ジャンプコミックス)

ONE PIECE 1 (ジャンプコミックス)

夢をかなえるゾウ

夢をかなえるゾウ